東海村には標高が高い「台地」と低い「平地」があります。この台地と平地の違いは、実は世界規模の気候変動によって形成されたものなのです。台地と平地の変化を足で実感しつつ、東海村の大地の成り立ちや、その地形が人々の生活にどのように関わっているかを見ていきましょう。

久慈川

久慈川は福島県南部から流れる河川です。途中、大子町などを通って、この東海村で太平洋に注ぎます。東海村の北部は平地が広がりますが、これは久慈川が長い時間をかけて大地を削ったことで形成されたのです。

阿漕ヶ浦

阿漕ヶ浦(あこぎがうら)のルーツは埋没してしまった谷にあります。海水面の上昇により谷は海に沈み土砂で埋没し、浅くなりました。その後、海水面が低下し、再び顔を出した谷に砂が溜まり、現在の阿漕ヶ浦になったと言われています。

細浦青畝

細浦青畝(ほそうらせいほ)は、東海村発足35周年を記念して住民の投票で決められた東海十二景の1つです。平地に広がる田園風景が台地の上から望めます。ここでは地形の違いとその利用方法の違いに注目してみましょう。

芋畑

ここでは、干し芋で有名な東海村の台地に広がる芋畑を見ることができます。台地は水はけが良く、さらにサツマイモと相性の良い火山灰質の土壌が表層に堆積しているので、サツマイモの栽培に適しています。

大地と平地の成り立ち

まっぷのポイントを巡ると東海村が高低差のある土地(大地と平地)であるこということが実感できます。では、この東海村の台地と平地はどのようにしてできたのでしょうか?

温暖化で海水面が上昇し、陸地に海が入り込んでくることを「海進」、寒冷化で海水面が低下することを「海退」と呼びます。関東平野は大昔から海進・海退を繰り返し、何度も海に沈んだり、陸になったりしてきました。

約12万年前の海進時

約12万年前の関東平野は、地球が温暖な時期で海に沈んでおり、東海村も海の底でした。海の時代の関東平野には、海の砂や泥が溜まっていたと考えられます。その後、寒冷化により海退して陸地となり、久慈川を含む河川が大地を谷状に削り込みました。

約6千年前の海進時

約6千年前にも12万年前と比べると規模は小さいものの再び海進が起こりました。このときの海進では古利根川や鬼怒川、久慈川などの大きな河川が築いた谷に沿って海が入り込み、そこに海の堆積物が再び溜まりました。この時に現阿漕ヶ浦にあった谷が土砂で埋没していきました。

現在

2千年前頃からは海退が始まり、河川の浸食などによって大地が削られていきました。また、この2千年前以降に阿漕ヶ浦にあった谷の河川下流部が土砂でせき止められ、阿漕ヶ浦が出来ました。このように何万年もかけて堆積と侵食を繰り返し、台地が削られたところが平地に、それ以外のところが大地となったのです。

東海村へのアクセス

お車で
  • 常磐自動車道 三郷ICから東海スマートICまで約1時間5分、日立南太田ICまで約1時間10分。
鉄道で
  • 上野からJR常磐線特急にて東海駅まで約1時間20分。
茨城空港から
  • 高速バスで東海駅まで約1時間30分