茨城県北端の北茨城市にある五浦海岸は、明治時代に岡倉天心はじめ多くの芸術家らを支えました。天心の思索の場だった真っ赤な六角堂は、2011年、東日本大震災の津波によって流失してしまいましたが、茨城大学を中心に修復作業が進められ、創建当時の姿に再建されました。五浦海岸は大昔、人類が誕生するよりずっと前の時代は、深い海でした。海の中で砂や泥が溜まって、固まり、大地の変動によって海から姿を現し陸地になりました。それが波の力で削られ、岩礁や崖ができて変化に富んだ美しい景色を見せてくれるのです。
亀ノ尾層
忘れじの碑近くの階段から海岸へ降りて少し歩くと、亀ノ尾層を観察することができます。この地層は縞模様をしています。灰色の触るとザラザラした層と、小麦粉を固めたような白い層。この2種類の層が何層も繰り返し重なっています。
この地層は大昔に深い海の中で、細かい砂や泥がゆっくりとたまってできました。その年月の重みを感じてみてください。これは、袋田周辺が海に沈む前の、陸地の時代にたまった地層です。今から1700万年ほど前、袋田の滝周辺は度々火砕流や火山灰に襲われていました。火山灰が積もった荒れた大地では、雨が降るとしばしば土石流が発生します。この地層に含まれている石は、川原にある石と同じように丸い形をしており、土石流や強い川の流れなどによって運ばれてきたものだと分かります。このような厳しい環境の時代でしたが、火山活動の休止していた時期には動物たちや鳥たちが憩う場所でもあったようです。上小川駅近くの大沢口では、火砕流の堆積物にはさまれた河川の堆積物中に、鳥やシカの仲間の足跡が見つかっています。
九面層
ベンチがある公園の奥の階段を下りて岩がちな海岸に出ると、そこは九面層です。潮の引いているときには、ぼこぼことした岩の様子をよく見ることができます。硬い部分があまり削れないのでこのような姿をしています。この岩の中からは、多くの貝化石や海底に住む生物の巣穴の化石がよく見られます。またムカシオオホホジロザメの歯の化石も発見されました。階段付近にも白い貝化石があるので探してみましょう!
六角堂
茨城大学五浦美術文化研究所内にある六角堂。近代日本美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心が晩年居を構えた五浦のなかで、六角堂は特に強いこだわりを持って作られました。2011年の東日本大震災の津波により流失してしまいましたが、茨城大学を中心に修復作業が進められ、創建当時の姿に再建されました。ここからの風景は、天心に何を思わせたのでしょう。また、天心はここで釣りを楽しんだそうです。現在は海岸侵食を防ぐために自然の岩の中に人口の岩が作られてあります。あなたは見分けられますか?
よう・そろー
漁業歴史資料館「よう・そろー」では、海の伝統文化や漁業の紹介、また、市の魚「あんこう」の種類・生態・調理法などを展示しています。よう・そろー脇の食堂では北茨城の旬の味覚が楽しめます。お昼にぜひどうぞ!
五浦海岸の成り立ち
五浦海岸独特の美しい景観は、はじめからあったわけではありません。五浦の地形は太平洋の荒波と五浦海岸の特徴的な地質によって生まれました。
五浦海岸は岩石海岸です。硬い岩石にも削られやすい岩石とそうでない岩石があります。五浦海岸は、削られやすく脆い砂や泥が固まった岩石と、硬く削られにくい石灰質の岩石から出来ています。五浦海岸には毎日太平洋の荒波が打ち寄せ、波の力で岩石は少しずつ少しずつ削られていきます。このとき、硬い岩石はあまり削られずに残ります。
また、海岸沿いに出来る崖を海食崖と言います。波の浸食によって岩石海岸の海面の高さにくぼんだ地形が出来、それが深くなると、上部の岩が重力に耐え切れずに落ちて海食崖ができます。そのため崖の下には大きな岩のブロックが見られます。
北茨城市へのアクセス
お車で
- 常磐自動車道 三郷ICから北茨城ICまで約1時間30分。
鉄道で
- JR常磐線特急で上野から磯原駅まで約2時間。