茨城県最高峰の八溝山は、古くから信仰の対象とされてきました。その形成は、日本列島の誕生よりはるか昔に遡ります。恐竜たちが大地を闊歩していた時代、1億5000万年前のジュラ紀。海洋プレートの上にプランクトン等の生物の遺骸がゆっくりと降り積もり、堆積物となっていきました。海洋プレートは大陸プレートの下に沈み込み、海洋プレートの一部とその上に溜まった堆積物が大陸プレートに剥ぎ取られ、積み重なりました。この剥ぎ取られた堆積物が、八溝山となっていくのです。このダイナミックな地球の変動の痕跡が、八溝山の登山道沿いに見られます。
龍馬(りょうめ)の滝
県道28号を栃木県黒羽町方向に進むと右側に駐車場があり、そこで八溝山内名称の龍馬の滝を見ることができます。この滝は泥岩(頁岩)でできています。看板にはこの滝に関する2つの伝説が記されています。源氏の武将であり弓の天才として名高い那須与一の名馬、鵜黒(うぐろ)にまつわる伝説です。
八溝川湧水群
旧参堂沿いに県内唯一の日本名水百選に選ばれた湧水群があります。八溝山に降った雨や雪が豊かなブナ林に蓄えられ名水になりました。八溝川湧水群の名水には、「金性水」「銀性水」「鉄水」「竜毛水」「白毛水」の5つがあります。これを名づけたのは水戸光圀公とされています。水戸光圀公は特に金性水を賛美したとのことです。
日輪寺
対岸を眺めると縞模様のついた地層が見られます。この地層「日輪寺入り口」から旧参堂を進むと日輪寺があります。平安時代以前に創設されたという天台宗の寺院です。八溝山は古くから霊山として礼拝され、県道28号も、その元は礼拝者によって作られたのです。
八溝山頂の地層
山頂に向かって進むと、山頂駐車場手前の登山道沿い左側で地層が観察できます。地層は古いものから新しいものへと上に積み重なっていくのですが、ここでは地層がひっくり返っています。約2億6000万年前、大陸のへりに「付加体」が形成され始めました。その中の、1億5000万年前の付加体が、その後隆起して八溝山になりました。そのとき付加体は、プレート運動による強い力を受け、しばしばちぎれたり(断層)、曲がったり(褶曲)します。八溝山の山頂付近の地層は、当時の褶曲によって地層が大きく変形し、逆さまになったものなのです。
八溝山頂
標高1,022mの八溝山は、周囲八方に谷や沢など「溝」が多くあることからその名が付けられたといわれています。山頂の展望台からの見晴らしは大変よく茨城県北ジオパークを一望できます。晴れた日には、南に筑波山~富士山、北に蔵王山が見られます。
八溝山の成り立ち
約2億6000万年前、大陸のへりに「付加体」が形成され始めました。その中の、1億5000万年前の付加体が、その後隆起して八溝山となりました。
付加体ってなあに?
海洋プレートの一部とその上の堆積物がはぎとられ、陸側に付加したものを付加体といいます。海洋プレートの上にはプレートが海嶺で生まれて海溝にやって来るまでの間に、決まった順番で堆積物がたまります。
- 海嶺で玄武石が噴出して、海洋プレートが生まれます。これが緑色岩です。
- 陸から離れた遠洋では、砂や泥は供給されず生物遺骸だけが降り積もります。生まれたての海洋プレートは厚いので軽く、盛り上がっています。海水は炭酸カルシウムを溶かす力を持っているのですが、浅い海では炭酸カルシウムが溶けないので、玄武岩の表面に石灰質プランクトンの死骸が堆積し、その後石灰岩になります。
- 海嶺から離れるにつれて、海洋プレートは冷えて、重くなり沈降していきます。すると水深が深くなり、炭酸カルシウムは溶けてしまって海底には堆積できなくなります。この時堆積できるのは放散虫等の珪質な生物遺骸のみになります。これらが石になったチャートです。
- やがて陸に近づくと、風にのって運ばれたチリや火山灰が海中に落下して、珪質の生物遺骸と混じって珪質の泥となり、これらが固まると珪質頁岩になります。
- さらに陸に近づくと乱泥流(タービディティーカレント)が届くようになり砂と泥の互層が堆積します。これらが固まったものがタービダイトです。
こうして重なった一連の地層を「海洋プレート層序」といい、八溝山周辺でも観察することが出来ます。その後長い年月の中で、付加体の岩石は隆起し、かつ風化・浸食され、八溝山になりました。
大子町へのアクセス
お車で
- 常磐自動車道「那珂IC」から 国道118号で約40分
- 東北自動車道路「宇都宮IC」 ⇒ さくら市方面(新国道4号)⇒ 国道293号 ⇒ 那珂川町 ⇒ 国道461号 ⇒ 大子町
- 東北自動車道「矢板IC」 ⇒ 国道4号 ⇒ さくら市 ⇒ 国道293号 ⇒ 那珂川町 ⇒ 国道461号 ⇒大子町
鉄道で
- JR常磐線水戸駅から水郡線で大子駅まで約1時間20分
- JR郡山駅からJR水郡線で大子駅まで約2時間